ネパールの子供たちのPTSD

 ネパールの地震被害の実態は、まだ不明ですが、アジアで最も貧しい国とされているこの国の復興は、日本と異なりかなりの厳しさが伴うと思われます。


 何かできないものかと考えあぐねております。息子のネパール人に尋ねても「食料と水、そしてテントと医薬品が、決定的に足りない」と言うばかりで、他の援助は思い浮かばないようです。「お金で送っても役人がごまかして、本当に困っている人には届かないので、現物を現地に送る以外に効果のある援助はない」とも言っていますので、安易にコンビニの献金箱へのお金の投入も迷っています。


 近いうちに友人らが直接援助のボランティアとして現地に渡ると言っていますので、その際にささやかかもしれませんが、何かを持っていってもらおうと考えております。


 さて、以下の文章にあるように現地では、特に子供たちの「PTSD」への対処が望まれているようです。一刻も早く、そして継続的に彼らの「心のケア」がなされることを願っております。



(引用)

 ランジュ・ギリ(Ranju Giri)さん(10)は、カトマンズ(Kathmandu)市内の自宅が大地震に見舞われた時、弟と一緒にベッドの下でおびえて縮こまっていた時の状況を、両手を握りしめながら語った。

 ランジュさんは、カトマンズ市内で暮らす他の多くの子どもたちと同じく、けがをすることなく先月25日の大地震を生き延びた。だが、数千人の命を奪い、さらに多数の住宅を破壊するなどの甚大な被害をネパールにもたらした地震は、彼女の心に傷を残した。

「本当に怖かった。弟と一緒に身を守るためにベッドの下にもぐり、その後空き地に向かった。弟を落ち着かせるのにすごく時間がかかった」とランジュさん。母親は当時、仕事に出ており家にはいなかった。

 その日以来、ランジュさんの家族は、市内のトゥンディケル(Tundikhel)広場で、他の数百人の被災者と共に避難生活を送っている。国連児童基金 (ユニセフ、UNICEF)は同広場で、子どもたちが安全に遊び、大地震の経験を乗り越えるための場所を提供するテントを設置した。

 ユニセフによると、マグニチュード(M)7.8の地震を生き延びた子どもたちの心の傷は、家を失ったことや、今も続く余震などにより、さらに悪化している。


■教師への指導計画も

 今月4日の朝、トゥンディケル広場では、さまざまな年代の子どもたちが、太陽の光が降り注ぐ中で笑いながら走り回って遊ぶ一方、大きなテントの隅で静かに人形遊びに興じる子どもたちもいた。

 ここでは、ネパール人の若いボランティアたちが、トレーニングを積んだカウンセラーと共に、地震で家族や友人を失った子どもたちが自分の経験を共有できるよう取り組んでいる。

 ユニセフの児童保護アドバイザー、プラカシュ・アチャリャ(Prakash Acharya)さんは、自分が話した子どもたちの多くが、地震にまつわる悪夢にうなされたり、再び地震が起きるのではないかと恐れていたりしていたと話している。

「ある男の子は当時の状況を話すことができなかったが、しばらくしてから少しずつ話し始めた。地震が起きた時、足が硬直して歩くことができなかったという。ここに来ることは、子どもたちの助けになる。回復力が高まっている」

 アチャリャさんによると、学校が再開された際、心に傷を負った子どもたちに教師がどう対応すべきかを、ユニセフが指導する計画もある。地震により同国で は、約1万6000校の学校が損壊し、10人以上の教師の死亡が確認された。公立の学校は全て、今月15日まで閉鎖される予定だ。

 地震により孤児となったり、直後の混乱によって親と離別してしまったりした子どもたちの正確な数はまだ不明だが、ユニセフにはカトマンズなどの地域で保 護者のいない子どもたちがいるとの情報が入っており、そうした事例を通報するためのホットラインを設置したという。【AFP=時事】【翻訳編集】 AFPBB News