なぜ悩みを話せば、それで悩みを離すことになるのか

昼間の人口が3000万人ともいわれる東京という都市で暮らしていると「寂しさ」なんて感じないのではないかと思われるかもしれませんが、集団の中の孤独こそは、本当に身につまされるような切なさがあります。


相談に来られる方同様に、夜の酒場では多くの「寂しがりさん」たちが集まって話し相手を探しているように感じてしまうのは、私だけなのでしょうか。


気丈な方は、「悩みを話すなんてくだらない」、「何にもなるものか」と考えられるかもしれません。しかし、「自分のことは自分ではなかなかわからないものなのですよ」とお思いにならないでしょうか。


女性なら自分の化粧を整えたり、男性ならヒゲを剃るのに鏡を使うように、自分が見えないのが「人間」なのかもしれません。人と人の間に生きていくもの、そこで完成されるものが、「人間」ならば隣人こそは、まさに自分を映す『鏡』のような存在なのではないでしょうか。


心の中の悩みも自己完結できないものであり、だれかに話して初めて本当の形が見えてくることがあります。カウンセラーは、いわばそんな鏡の役割をもって働いています。


ところが、カウンセリングに訪れる方に時々勘違いをされている方がおられます。それは、カウンセラーが、悩みを取り除き、解決してくれると期待されておられる方々です。


しかし、悩みを取り除くお手伝い、解決への導きはカウンセラーが行いますが、実際に主体として「取り除き、解決する」のは、ご本人以外なのです。この点だけは、お間違えになられないようにとお願いしております。


さて病状としての悩み相談だけでなく、日常の相談事(人え現関係の修復など)の相談もカウンセラーとして受け付けてきました。それらの方は、大体が一~二度で「解決の糸口」に気づかれて、明るさをすぐに取り戻して自分のあるべき場所へと帰って行かれます。


そんな比較的簡単なカウンセリングが終わった後は、そんな方々の傍に「話を聞いてくれる隣人がいたら良かったのだけれど」とついつい考えてしまいます。


ハンドバッグに手鏡を欠かさないように、話を聞いてくれる「隣人」を持っていただきたい。その方々こそは、あなたの悩みを離すお手伝いをしてくれる大切なキーパーソンになってくれるに違いないからです。


話をすれば、自分でも驚くほど今までと違った形で全体像を眺めることができたり、まとめることで解決の糸口が見えてきたり、隣人からの更に異なる解決策を示してもらえたりするものです。


このように、悩みを離すためには、まずは悩みを話すことです。それが解決のための第一歩になることは、私の長いカウンセラーの経験上でも何度も確認できた間違いのないことだからです。