熊本を中心に大きな地震がありました。

歴史は繰り返すのでしょうか。

被災された方の一日も早い通常生活の取り戻しを願っています。

 

『防災くまもと資料 恐怖におののいた明治22年の大地震』[2]によると、五野保萬(ごのやすま)は、彼の日記で次のように記している。

7月28日。夜大地震の事。さて、夜11時30分に地震起こり、一時は家も倒れる如く揺れ出し、実に稀なる大地震にて恐怖甚だし。8月4日 今度の大地震の原因は飽田郡金峰山より発せんと、もっぱら風評の談、山噴火の籠り居る由。8月7日、今日も震動一度をなす。今に熊本及近傍の人民は、山鹿町諸方に逃げ、家財を運搬して、身の要心をなす。熊本より山鹿町迄運送する車力人力等の賃銭六円も取り、実に滅法の賃金。(中略)急迫の場合は、やむをえないこと右の如し。(中略)熊本城百閒石垣古より大変ありといえども少しも動くことなし。今度の震動に合う長さ五間余崩落、城内の大なる石垣所々崩れ、依って鎮台兵も城内を出て、山崎練兵場或いは、川尻付近に出張あり。城内には哨兵のみ残しあり。皆28日の震動には鎮台兵死人負傷人多くあり。周章狼狽硝子石垣より落、身を傷くもあり、丁度大砲の音ぞなしずば、又合戦発せしと驚き誤りて死傷せりとぞ。(Wikipediaから)